紫電改格納庫!?
2006年 02月 11日
25年位前、空港途中の道端で不思議な物を発見した。
オヤジに聞くと紫電改の格納庫跡だと言う。
当時空港の周りは田園風景でまだ5~6戸は残っていた。
今では離着陸時の爆音にもかかわらず住宅地となって家がひしめいている。
流石にもう無いかな・・・とよそ見しながら運転していて発見した。
思わず車を停めて近くを歩いてみた。
松山三四三航空隊格納庫跡とも知らずバカ者がSEXとか殺すとかスプレーで落書きをしている。(汗)
「バッカ野郎、ここをどこだと思ってんだ!ぶっ殺す!」と紫電改ファンに成り代わって心の中で思った。
格納庫の直ぐ後に住宅が建って駐車スペースになっている。
見に行きたい!!
2年程前に足摺遠征した時に見に行きました。
松山空港近くの紫電改格納庫から少し北にある垣生山(ハブ山)の
南側の麓には、防空壕跡もありますね。
小学生の頃、友人と懐中電灯を持って探検に行ったことがありました。
今日は「紀元節」だということを教えない教師ばかりの日本って・・・
これ飛行機の形になっているのがおもしろいですね。
松山航空隊は生き残った猛者を集めた最強の部隊でしたから、こういう物が残っているというだけで、何とも感慨深いです。
最初にピシッと編隊で飛んできた姿からして、若い新米で構成した部隊とは違うのが、下から見ていてわかったそうです。
ご存知でしょうが初陣でF6Fをバッタバッタと落とし米軍に一泡吹かせました。
その後はより高性能な米軍機の前に苦戦を強いられ、日本のエースパイロットがひとりまたひとりと消えていきました。
今でも四国の海には紫電改がたくさん沈んでいるはずです。
・・というわけで四国に行ったときは海を拝んでくる僕でした。
以前(2年位前?)にお話しした格納庫写真です。
やっと撮影しました。
普段この道は通らないので発見遅くなりました。
ここを通ったのは1年半ぶりくらいです。
だーださん南レクに見に行ったんですか?
今度行きたいので場所を教えてください。
RYOさん
ハブ山?、あの辺に山なんかありましたっけ?
子供の頃に富久や余戸あたりはうろついていたので大概知ってるんですが・・・。
bio-nさん
掩体壕というのですか?
正確には格納庫ではなく戦闘機専用の防空壕みたいなものなんでしょうか?
オヤジは紫電改ではなくゼロ戦の格納庫と言っていたような記憶があります。
モゲラさん
これは史跡ですよね。ちゃんと保存管理して後世に残したいですよね。現状は「○○ぶっ殺す」とか「レイプ」とかスプレーで落書きされていました。(涙)
へろへろさん
旅客機で大阪ー松山40分ですよ。
高速バスなら3時間で往復11000円程度。
夜出て朝着くフェリーなら往復ネット割引で9000円弱だったと思います。いつでもカモンw
空港道路をさらに越えて北上すると山に突き当たります。
その山が、垣生山です。
山頂にも徒歩で上がること出来ますよ。
南レク御荘公園の紫電改展示場 すごく寂しい気分になる場所でした...
ここの「城辺公園」看板すら目立たないので、行ってそこらのおっさん捕まえて聞かないとたどり着けません。ロープウェイに乗って行く方法が簡単だそうですが、私はバイクで行きました。
内子いた際、敵機迎撃のため高度を上げて飛び去っていく紫電改を目
撃したそうです。 南予上空という事から間違いなく三四三航空隊の
ものでしょう。
確かに陳列されている戦闘機(紫電改や名古屋の零戦三二型)を見ると
物寂しい感じはしますね...
くらいの速度が出たそうです。ドイツの名機フォッケウルフFW190と同等で、しかも自動空戦フラップがついて格闘戦が得意な機体だったんですねぇ。
という事だったそうです。 これも前著の後書きの中で、エースパイロット
の坂井さんが述べておられました。
しかし、紫電改は本当にゴツい機体です。
無かったのでヤフオクでも探してみます。
どの後書きにあるのでしょうか?
いろいろ刊行されているようです。
・・・ということでネタバラし厳禁で(笑)
radyr さんはラダーとお読みしたのでよろしいのでしょうか?空戦フラップは以前どなたかからお聞きしたのですが何だったか忘れました。
オクタン価の高いアメリカの航空用燃料と、キチンと整備された誉エンジンの組み合わせの賜物ですね。
あと、アメリカの最高速テストの場合は機銃弾等は積んでいないはずですから、重量的にも有利だったと思います。
紫電改って速かったんですね。映画「パールハーバー」って噴飯物でしたがゼロ戦がブンブン飛ぶシーンは圧巻でした。紫電改は飛行可能な個体が残っているのでしょうか?
へこさん
松本零士は長浜に近い大洲に疎開していたそうです。
魔女天使か何かで大洲の実在の山が出てきます。
メーテルのモデルは大洲地区の女性だと本人が書いていました。
肱川流域は水がいいのか美人の産地らしいです。
で疎開されたとの事ですが、実在の山の事までは知りませんでした。
南予博(でしたっけ?)で、鉄郎とメーテルを載せたポスターを使って
いましたが、やっぱその辺の縁ですよね~。
紫電改は、総合性能で日本最強の戦闘機だったと思います。 機動部
隊が健在であれば、おそらく母艦機にもなったはず。
P.S.
ネタ本はコレです。
http://chibapro.co.jp/shuppan/shidenkai/zenshu/shidenkai-zenshu.html
当時、アメリカ軍の航空燃料は100オクタン。日本は92オクタン+水メタノール噴射の予定でしたが、実際は90~85オクタン程度だったようです。
紫電四一型と四二型という、着艦フック等を装備した試作機があったそうですよ。
>しょうか?
フフフ、そうですよ。
紫電改で今は飛べる機体はありませんが、
アメリカで素晴しいレストアが施されたものが
あったはずです。艦戦紫電改は、これまた名機
の艦爆流星改と共に、空母信濃で着艦テスト
がされたそうです。最高速度689kmをアメリカで
記録した四式戦闘機疾風は、アメリカで飛行可能
状態に復元され、日本で里帰り飛行をしました。
懇願され日本に帰ってきましたが、宇都宮の富士重
で野ざらしにされ、京都嵐山美術館などあちらこちら
をたらいまわしにされたのち、飛行不能状態にされた
あと九州知覧の特攻隊博物館に三式戦と共に展示
されています。アメリカにそのままいていた方が幸せ
だったかも、、、。
敗戦ののち、アメリカに運ぶために生き残った
紫電改を国内で空輸していたとき、アメリカの
ハイオク燃料を積んだ紫電改に随伴したグラマン
F6Fはついていけなかったそうです。その後アメリカ
でのテストの結果、米軍の紫電改に対する評価は、
「非常にうるさい存在だった。グラマンF6Fに対する
日本の回答。」だったそうです。
紫電改のタカは偶然ですがへこさんに貼っていただいているリンク先そのものを落札しました。
入札した後に確かめたところ運良くそのバージョンでした。
後書きを読む楽しみも増えました。
モゲラさんに紹介していただいた光人社の「紫電改の6人」もその内入手したいと思います。
Radyrさん
という事は私が想像している人物で間違いないですか?
お誕生日プレゼントを贈ろうと思っていてタイミングを逃してしまいました。しばらくお待ち下さい。
いつもの秘密の場所でお待ちしています。
「紫電改の六機」は、搭乗員だった人物の方に主眼がおかれています。
もし紫電改という飛行機そのものの方に興味があるようでしたら、同じ文庫シリーズで「紫電改入門」という本がありますから、そちらの方が良いかもしれませんね(著者は同じ碇義朗氏です)。
紫電改、流星(又は彗星鑑爆・天山鑑攻)を満載して太平洋を駆け回る
信濃... 好奇心を掻き立てられますね~。 信濃も松山に回航されてる
途中に沈められたっつ~のが何とも悔しい...
紫電改のタカについては、ちばてつやさんご自身が前述の本で悩んで
おられました。 本当は悲惨な話なんですよね。この物語は。
す。これはなんとアオシマで最近プラモ化しています。
黒い~は、かの撃墜王故坂井三郎氏が滝城太郎に
手渡すんですね~。
艦爆流星も名機でした。
零戦並みの最高速度、雷撃急降下爆撃可、その上なんと
格闘戦が出来る様20粍機関砲まで前方に向けて2門
積んでいました。
名機といえば、フィリピンに放置されている艦偵彩雲の
復元プロジェクトが持ち上がっていますね。かの松本
零士氏も参加されています。
明日こそは紫電改のタカが到着するはずです。
ところで皆様、本宮ひろ志の「ゼロの白鷹」という漫画を御存知ですか?中学生くらいの時に全巻読みました。
特攻隊が特攻前に空母の眼前でゼロ背面飛行や錐揉みを披露して、「これだけの腕を持ったパイロットが特攻しているんだ!」と憤る場面がありました。
今考えると有り得ないのですが当時は感動した記憶があります。